再びの

お願いです、どうか三年の猶予をください…

母を看取った後、天に向かって真剣に願ったことを思い出す。

母の死によるダメージが、想像や覚悟を遥かに超えた
大きさと重さを持っていたのである。
もしも続けて伯母(当時99才)が逝ってしまったら、
多分私はどうかなってしまう、と思ったのだ。

あれから三年半。
102才になった伯母は健やかに長寿を生き続けている。
元気でいてくれている。
今日も元気に朝ごはんを食べてショートステイに行った。
天は私の願いをちゃんと聞き入れてくれたのだ。

「だからもういいでしょう、そろそろ準備に取り掛かりなさい。」

伯母が体を硬直させ白目をむいた木曜日、
天は私にそう伝えようとしたのではないか。

動転した私は伯母を抱きかかえ、「おばちゃん!」を
連呼した。
すぐに伯母は黒目を取り戻し硬直も消えた。
その間ほんの数秒。
伯母は夢から覚めたように、キョトンと私の顔を見ている。
なんにも覚えていないと言う。

その時私は思い出した。
三年待ってくれと願ったこと。
そしてその三年が過ぎたこと。

三年半待ってもらったのだ。
もうこれ以上の贅沢を願うつもりはない。

そう遠くはないこれから先に待っている「その瞬間」。
そこに向かって行く日々をやり遂げるタフネスが、私の中に
だいぶ戻ってきた感覚はある。
大丈夫、しっかり送り届けてみせる。

今再び迎えようとしている毎日は、三年前の四月八日、
母の「その瞬間」までの半年と同じ意味を持つことになる。

近い将来に待っている永遠の別れを知りながら、感じながら
暮らす毎日で積もり積もる切なさは、底の無い疲弊と悲しみとなって
「その瞬間」を見届けた後になってから、心の中を占領してゆくのである。
同じ意味とはそういうことである。

母で経験したことを
これから伯母でもう一度味わうことになる。

再びの季節。

私はー
もう今から泣いている。







0

依頼主

どうしてそんなことになったのか。
近しい人たちから聞かれることを想定して、記憶の新しい
今のうち、そのいきさつを書き残しておこうと思う。

4日前。
ガラケーのラインにメッセージが入っていた。面白いスタンプと一緒に。
メッセージには、イラストを描いてくれないかの旨。
私はトライしてみますと返信した。

翌日、今度はiPadのメールに丁寧なメッセージがイラスト用の参考写真
を添えて入っていた。
「イラストは、1枚もののパンフレットの標題に添えるカットに使いたい」
とのこと。

私は早速作業に取り掛かった。
送られてきた写真を取り敢えずiPadのアプリでトレースし、彩色と
何パターンかの背景処理を施して出来た数枚を参考までに、オリジナルの
本描きはこのあと取り掛かる旨を添えて依頼主に送信した。

程なくiPadのメールに依頼主からの返信が入った。
イラストを描くに当たって参考になる情報やアドバイスが書かれてあり、
有り難かった。

それから私は、ガラケーのラインにも依頼主からのメッセージが
来ていることに、毎度遅まきながら気がついたのである。
そこには面白いスタンプと共に短いメッセージが書かれてあった。

「…イラストは私の方が上みたい…」

唖然とした。とにかく既読と言う意味で私はスタンプだけ送った。

モヤモヤした思いを抱えながら翌日の午前いっぱいを、イラストの
アイデアスケッチに費やした。

一区切り付いてガラケーをチェックすると、依頼主からのラインが
また入っていた。

「努力は認めます。」

私の方が上みたい、のフォローにもなっていないフォローである。
私はもう唖然とはしなかった。
ただこの依頼主からのイラストの依頼を断る決心が固まった。
ラインの返信に、依頼主ご本人がイラストを描く方がいいのでは、
の旨を書いて返信し、ラインを閉じた。
それが昨日。

以来ラインを開いていない。
再び依頼主からのラインが入ってるとすれば謝罪だろうか。
それとも文才を活かした痛烈な私への批判だろうか。
どちらにしても私はその人からのメッセージはもう読みたくないのだった。

この依頼主の精神構造はいったいどうなっているのだろう。
どうしてこの人は私にイラストを頼んできたのだろう。
本当に私のイラストなど必要なのだろうか。
もしも必要ならばどうして私のやる気を削ぐようなメッセージを
わざわざラインに送ってよこすのだろう。

不可解なのは、iPadに送ってくるメールの礼儀正しさと
ラインでの無礼っぷりとのギャップである。

…イラストは私の方が上みたい…

「上」っていったい何?

この人の世界観は、縦軸と横軸の目盛りが入ったマス目で出来ている。
縦軸が優劣の目盛り、横軸が正誤の目盛りである。
方眼紙である。

私のは、縦軸も横軸も何にもない無地。
スケッチブックみたいな。
自由帳みたいな。

線の入ったノートはどうも苦手で、めったに買わない。
ましてや方眼紙なんて全く用がない。

話、ズレた。









0

佳き風

IMG_5286.JPG

姪の婿殿K君が、十年の修行を経て晴れてご自分の店を持った。
『珈琲 山口』
場所は九州福岡の森の中。(と、想像している。)

長年の夢をとうとう実現させたK君。うーんすごい、素晴らしい!

こういうおめでたいニュースはいいものだ。
いい気分にしてもらえる。

姪がラインで送ってくれた写真には、古民家を改装した美しい店内や
カウンターの内側で働くK君、店の入り口に並ぶ幼い姉妹などが写っていた。

ふとー、
7年前、修行時代のK君が働いていた珈琲店にお邪魔して、
開店直後から閉店過ぎまで丸一日(大迷惑だったと思う…)、過ごさせて
もらった時の記憶が蘇る。

珈琲店でゆっくり過ごす時間を、生活のグルグル渦巻きから一時外れる
貴重な独り時間、と私は位置付けていて、
それが美味いコーヒーを飲ませてくれる居心地の良い珈琲店であれば
なおのこと。
毛羽立った気持ちを落ち着かせてくれるのだ。
自分の呼吸に戻してくれる。
更には思考の整理までさせてくれる。
「思考の整理」だって(笑)…なんとまあスカした言い方。
お恥ずかしい。
つまりはボーッとするか、考え事に沈むか、にいそしませてくれる。

そして気が済むまでそれをさせてもらえた場合、私の気分は
創造の活力へと繋がってゆくのである。
つまり、お店で絵を描き始めたり、作文を書き出したり
するのである(お店大迷惑である)。
ここまでさせてもらえた場合のアベレージは、3時間くらいだろうか。

私にとって居心地のいい珈琲店に流れる時間がもたらせてくれる恩恵は
計り知れない。
それを考えたらコーヒー一杯の値段など安いものだ。
(ちなみに3時間居続ける場合、2杯以上プラススイーツ2皿はオーダーします。
勿論混んできたら帰ります。)

以上がK君修行時代のお店に丸一日居続けてしまった言い訳だが、
なんとも長ったらしい。言いたいのはそこではないのに。
言いたかったのは以下のこと。

それは、一杯目か二杯目か、私の目の前に湯気立つコーヒーを
置いた、K君のスラリとした手に視線をやった一瞬の出来事だった。
サッ、と手を引いたK君の顔が瞬間曇ったのだ。
私の手は、小さく貧相でささくれのあるコンプレックスハンド。
人に見せたくない体の部分第2位である。

だからわかった、K君がサッと手を引いた心。
私の視線が何気なくとらえたものが、K君にはサッと手を引かせて
しまうコンプレックスだったのだ。

今、その時のことを思い出して痛烈に思う。

K君はこの仕事に向いている!

お客様に、質の高いコーヒーと共に上質の時間を提供するのが
K君の選んだ仕事である。
その時K君の、あの繊細な感受性は必ず生きてくるのである。



記憶はさらに遡る。

姪の結婚式に招んで頂いたのは、確か12年前のことだ。
初めての長崎だった。
飛行機の手配から宿の予約からそれらの費用負担まで何もかもを
長姉夫妻にやってもらった贅沢な二泊三日の旅は、今も明るい彩りで
細かく記憶に刻まれている。

長崎到着の夜、空港発のバスで市街に到着した私を停留所に
待っていてくれた長姉と旦那さん(世間では義兄というのか)の笑顔。
バスの窓越しに手を振って迎えてくれた義兄を、ど近眼のくせに
メガネをかけない私はそれが義兄と気がつかず無視してしまった。
にもかかわらず、バスを降り立った私を待っていたのは、義兄と
長姉の歓迎の笑顔だった。
バツの悪い思いをさせてしまったのではないかと、いつも申し訳のない
気持ちで思い出す場面だが、長姉夫妻の感じの良さに救われて嬉しい
再会の思い出となって残っている。

一夜明けて、式の当日。
会場となった教会が立派なのには驚いた。
長い時の経過の中、建物に練りこまれた歴史が生みだす
重厚感は、外観から既に感じ取れたのであるが、
それが建物内部に入ると視覚以外の感覚にまで訴えかけてくる。
空気の感触。匂い。静謐。光。
しかし何よりも印象深かったのは、姪のお婿さんK君側のお身内、
ご親戚たちの様子だった。和やかな集いから漂ってくる善良と穏やかさ。

ビデオ係を承った私はラッキーだった。
遠慮なくズームインして、彼らの表情を追うことが許されたのだから。
するとこの日、私は生涯忘れられない一瞬を目撃するのである。

それは、花嫁(姪のことである)と父親(義兄である)が腕を組んで
バージンロードに現れた時のこと。
歩き出す寸前、花嫁の父は一瞬顔をクシャッとさせて泣いたのである。
それは多分、ビデオカメラをズームインさせて見ていた私だけが
リアルタイムで知っている瞬間なのだ。
後にわかったのだが、あの時花嫁が父にだけ聞こえる小声で言った
一言に父はやられてしまったらしい。

お父さんありがと…

武骨でせっかち、だけど情に厚い義兄を物語るエピソードの中で
気に入っている一つなのである。


式の翌朝、私たちはホテルのロビーで花嫁と花婿に会い、
短い時間だったが歓談した。
この時印象に残っているのが、困った顔をして幸せそうに笑った
K君の笑顔である。
姪がパインジュースを紙コップで飲みながら、男子中学生が言うような
しょうもない事を言うのを受けての表情だった。


さて先日ー、
この秋に『珈琲 山口』を訪れるつもりでいる事を姪に伝えた。

もう一度、K君のあの笑顔に今度は会えそうな気がするのである。

幸せそうに笑った笑顔に。






0

日本一

IMG_5250.JPGIMG_5251.JPG

本日、太極拳の日。

私は先月の稽古で、先生がリュックから取り出した
ストップウォッチの入った箱を、メダルが入っている箱と
勝手に勘違いして騒いでしまった。
「先生、メダルですか!」と。

そのことがあってか、今日先生が取り出した箱には本当にメダルが
入っていた。
しかも金メダル!しかも全国大会!

2週間前に開催された全国大会、60歳以上の部での優勝である。

晴れて大騒ぎさせていただいた。






0

風笑う

画像


昨日、梅雨の晴れ間。

爽やかな風が吹き続けた午後は太極拳。

太極拳のゆっくりした動きが生み出す静謐の中を

通り抜けてゆく風があまりにも気持ちがいい。


私の太極拳は遅々として上達しないが、

まあいいか…と思わせてくれた優しい風だった。





0

会話術

ついさっき取り交わされたA子とB男の朝の会話である。
思うところがあったので記憶の鮮度が高いうちに書き残しておこうと、
久々の投稿。

A子「風邪はどう?」

B男「うーん…バファリン飲んだら効いたみたい。」

A子「バファリンは頭痛とか熱でしょ。」

B男「うん、熱があったから。」

A子「(36.9分)あれくらいで?」

B男「うん、僕にはある方だから。」

A子「それくらいだと下がらないでしょ。」

B男「なんとか下がったみたいだよ。」

A子「…」


A子はB男の言うことに一つ一つ反論してしまい、結局B男の
熱が下がったことに対して「よかった」という思いを一度も
発信することなく、会話は終わってしまった。
これではA子のせっかくのご機嫌伺いもB男には伝わらない。

「朝の開口一番、バファリンを飲んだことにいちゃもんをつける
A子っていったい…」

A子の言葉は残念ながらB男にそんな足跡を残す結果となってしまった。


閉口したB男は一人になって溜息をついた。そして気がついたのである。

そうか…!風邪はどう?と聞かれた時にシンプルに「良くなったよ。」と
答えればよかったのだ、と。
本当のことを具体的に言おうとするからいけないのだ、と。

黒に近いグレーなら黒!と、白に近いグレーなら白!と、
言い切ってしまった方がうまくいく会話だった…と後悔した。

するとB男は、昨日の会話もそうすべきだった、と天を仰ぐのだった。
割愛するが、昨日はA子の物言いに自制が効かなくて
腹を立ててしまったのである。
今考えてみれば、あれはB男が具体的に理由を言いはじめたことが
きっかけだった。
シンプルに「わかった、そうするよ。」の返答をしていれば
それで済んだ話だった。



会話はよくキャッチボールに例えられるが、私には卓球の方が
会話っぽく思える。
カンカンカンと猛烈な速さで撃ち合うあの競技。
そこで必要とされる能力に、読みと反射神経がかなり重要な位置を
占めていると思うのだが、それはまさに私にとっての会話なのである。

読みと反射神経…

卓球の選手が何万回何十万回撃ち合って身につけてゆくスキルならば、
私も何十万回と会話のラリーをする事で身につけていこうと思う。



冒頭のやり取りの1時間後ー。
A子は手紙と金一封の入った封筒をB男に手渡し、玄関を出て行った。

手紙を読んだB男は、しみじみと絶句した。
そこには、良心と謙虚に満ちたありのままのA子が
文字になっていたのである。
会話では発揮されないA子のほんとうが、手紙だとちゃんときれいに伝わってくる。

申し訳ない事をしたのは僕の方なのだ…

B男は、手紙の中の「ごめんなさい」に深々と頭を下げた。

















0

完走賞

なんとか終わった…。
走りきれた。
青梅マラソン10キロの部。

両脚に爆弾を抱えての無謀な参加が残して
くれたものは、今朝もまだ右膝に残る
なかなかの痛みと、やりきった安堵感である。

右膝が痛み始めた7キロ当たりからは、景色が記憶に
残っていない。
ギュッと目をつぶっては「がぁーー!」と声を出し
、痛みを発散させていたので足元以外の何も
見てなかったのである。
歯医者さんで歯を削られているときのリアクションに近い。

顔と声もさることながら、ランニングフォームもなりふり構って
られなかった。体を思い切り前傾させ、前につんのめる力を
利用してのビッコ走りである。
腰の曲がったお爺さんが目をつぶり奇声をあげながら、
群衆の群らがる天下の公道を駆け抜けて行く…そんな図柄。

ペースをガクンと落とせば、そこまで痛々しいフォームに
ならないで済むし、それよりも何よりも棄権すればいいのだが、
悲しいかな、それが出来ない。
(あと3㎞…あと2㎞…もう少しではないか、頑張れる!)
この諦めの悪さがこれまでの人生の中、私に色々な事を
させてきたのだ。闘争心の火が完全に消えるまでは投げ出せない
性分。これが良いのか悪いのかは敢えて決めないことにしている。

と、沿道から「タチさーん!」
私の名前を叫ぶ声がした。

視覚はもはや足元のアスファルトと闇しか捉えることが
出来ていないのだが、聴覚というのはギリギリの状態でも
働くものである。
(ご近所の誰かかなぁ、介護センターの誰かかなぁ…
とにかく有り難い。もう少しだ頑張るぞ。)

と、また沿道の声。
「大袈裟なんじゃね。」(今時の若者の抑揚で読んでほしい。)

心が呟く。「うるせーよ、お前が走れよ(苦笑)。」


カーブを右に曲がると直線道路の100m先に、
ゴールの横断幕が見えてきた。
その下にはスラッとした女性がいて、次々に入ってくるランナーを
ハイタッチで迎えていた。
あと20mくらいまで来ると、それが誰だかわかった。
高橋尚子さんだった。

(着いたー。もういいだろう。)
私は走るのをやめてゆっくり歩いた。
そして笑顔の高橋尚子さんとハイタッチ。
冬空の下、健気に何千人とハイタッチをしてきた彼女の手は、
すっかり凍えていた。

よかった、棄権しないで。
無茶が報われた。
そう思わせてくれたハイタッチだった。










0

一寸先

一瞬のことだった。

そこまでは、いつもの火曜日の、いつもの朝の、
稽古場までの10キロ走だった。

滑ったわけではない、躓いたのでもない、
転んでもいない、ただ普通にスタスタ走っていた。

だのに、捻挫したのである。
あ、と思った瞬間、左足首を捻っていた。
まだ2キロも行ってない地点でのアクシデント。
稽古場まであと8キロあまり。

この先で左に曲がればO駅にでる。
まっすぐ進むと稽古場に向かういつもの道である。
真っすぐの道は鉄道からかけ離れて行くから、
途中で駅に逃げるチャンスはなくなる。

どうするか。

私はまっすぐを選んだ。

痛いことは痛いのだが、何とかなりそうなレベルの
痛みだった事と、その痛みのおかげでずっと
悩まされてきた右膝の痛みが消えた事が、まっすぐを
選んだ理由である。

騙し騙し走ればなんとかなる、気がしたのだ。

しかし、稽古場まであと2キロのところで断念。
痛みのレベルが一段上がったのである。
左足を地面に下ろすたびに走る激痛が、私の痛みポテンシャルの
限界を越えた。

私は走るのを止めて歩き出した。

いじましいのは右膝クンである。
痛いはずの右膝クンが、左足さんをかばって
まだ頑張ってくれている。
そのおかげで歩を進めることが、辛うじてできるのである。

おかげを言うともう一つは塀である。
塀に手を置くことで足への負担が減るのである。
手すりの役割を果たしてくれるのだ。

そうやって必死の思いで稽古場に着いたのは昨日の話。


一夜明けた今朝は、痛みが少しだけ引いた感じがして
ホッとしている。
腫れもだいぶ引いてきた。それでもまだ↓こんな状態。
画像


でも夕べの、紫イモみたいな左足を思えば、
確実に回復には向かっている。

その事を一番よくわかっているのは、右膝クンである。
「今日はそんなに頑張らなくても大丈夫。だって左足さんが
少しだけど良くなってきているからさ。」

そう言って右膝クン、昨日ほど頑張ってくれない。

今日は右膝も、痛いのである。




0

空想癖

画像

画像


寒い日が続いている。
冬なのだから当たり前である。
仕方がない。
諦めて耐えるしかない。そう、耐えるしかない。
わかってはいるのだ。だがしかしー、
朝の寒さときた日には……(ToT)。

「冬はつとめて。」と、冬の早朝の美しさを綴った
清少納言の才能をリスペクトしながらも、私は呟く。

(美しいのはわかった、けど寒い!)

寒さは感受性まで凍らせてしまう。
興に入っている余裕などないのである。
私は凍結した感受性のままに朝の雑事を済ませると
ストーブの前に突進し、正座をして手をかざした。

かじかんだ手が少しずつほぐれてくる。
それに伴って感受性の解凍も進んでゆく。
ストーブの暖に朝の陽射しも加わり、もとの温かさを
取り戻した我が神経系統の稼働が始まった。

目に留まったのが、床から生え出したみたいに
ゆらゆら揺れる1本のホコリ。
こういうのを見ているのが、小さい頃から好きだった。

例えば朝、目覚めて寝床の中から見る掛け布団の地平。
毛羽立った繊維が砂漠を行く旅の一行に見えてきて、
布団から出るまでの時間を、私は旅の一行のストーリーの
中で生きるのだった。

例えば晩御飯に出てきたスープ。
表面に浮かぶ幾つもの油の輪っかを箸でつなぎ合わせ
ながら、私は太平洋を航海していた。

例えば座椅子に座ってテレビを観る父のくゆらすタバコの煙。
湿度の関係なのか何なのか、煙がスローモーションで
拡散する時がある。そんな時私は、煙を霞に、父を岩山に
見立て、水墨画の世界に遊ぶのだった。

そんな子ども時代の空想癖が今も続いている。
冒頭の、揺れる1本のホコリがそうである。
私は、ストーブにあたりながらぼんやりと、
ホコリが揺れるのを見つめ続けた。
次から次へと色々な思いが浮かんでくる、それに
任せて考え事に耽る。

しかしー、
ふと我に返って苦笑いであった。

考え事のほとんどが愚痴と文句なのだ。

空想好きの子供も年をとったのである。






0

百日紅

画像



映画を観た。
タイトルは、「歩いても 歩いても」。
九州の姪が手紙で教えてくれた。

監督は今をときめく是枝裕和さん。

海で溺れるどこかの子供を命がけで助け、
命を落とした長男。それから15年ー、
長男の命日に里帰りする次男家族と長女家族と、
彼らを迎える老夫婦との夏の二日間が、日常の
緩やかな起伏の中で過ぎてゆく。

心地のいい映画だった。

誇張のないちょうどいい重さと明度で織り込まれた
家族ならではの確執、葛藤、怒り、悲しみ、そして
愛情が、平凡な幸福感とほどほどの善良さに支えられていて、
どこか可笑しくて泣いてしまう。

一番やられてしまったのが百日紅(さるすべり)の花であった。
(これはかなりの少数派だと思う。)

炎天下を彩るこの花が、小さなアクセントとして数回出てくる
のだが、私がやられてしまったのは、夏空を背景に咲く百日紅に
手を伸ばす少年たちと少女のシーン。

突然ある記憶が頭の中を駆け抜けて行った。

母と二人で奈良の街を一日歩いた時の記憶である。
夏の盛りだった。日陰を探しながら東大寺や古墳を
訪ねたあの日。其処此処で目に飛び込んできたのは、
百日紅の鮮やかで、でもちょっと涼しさのあるピンク色だった。

いい思い出というのは、それはそれで涙腺を刺激しまくる。
母が逝ってこの四月でまる三年経つというのに
今も泣き崩れる自分に、自分でも驚いている。

けれど樹木希林演じる老母が、押し殺した慟哭を
阿部寛演じる次男に向かって呟いたシーンで、私は
悟った。
三年くらいで癒えるわけがない、と。

「(兄貴が助けたあの子を)命日に呼ぶのはもうやめろよ。
もういいだろう。」

「十年やそこらで忘れてもらっちゃ困るのよ。
いいじゃないのよ、一年に一回苦しんでもらうくらい。
あんたにはわかんないのよ、同じ目にあったら世の中の母親は
皆んな私と同じ思いになるのよ。」


それと比べたら、母親を老衰で失った私の悲しみなど
取るに足らない順番通りの当たり前の摂理なのだが、
失った悲しみがちょっとやそっとで癒えるわけがない、
という点において、私の場合にも当てはめることにした。

観終わった後、晩御飯を作りながらついて出てきた鼻歌は、
いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」。
この曲が映画の中でかかるシーンがあったのだ。

うろ覚えで知ってる歌詞の部分だけを歌う。

街の灯りがとてもきれいねヨコハマ~♪
ブルーライトヨコ~ハマ~♪
あな~たと ふた~り いつまで~も~♪

足音だけがついてくるのよヨコハマ~♪
ブルーライトヨコ~ハマ~♪
あな~たと ふた~り しあわせよ~♪

あるいても~あるいても~ 小舟のように~♪

ここでハッとした。

そうか!
映画のタイトル「歩いても 歩いても」は、
ブルーライトヨコハマからきてたのだ。




















0

落葉樹

気がつけば師走。
好きな月である。

朝の冷気、葉を落として行く樹木、物を燃やす匂い、
深夜聞こえてくる電車の音、柚子の味…

五感が冬の入り口を悟る。

この月に入るとすぐ2日目が、同居している伯母の誕生日。
今年も健やかにその日を迎えた。
訪問リハビリの先生たちも、訪問看護の看護師たちも、
かかりつけの医者も、ケアマネジャーも、我が家を出入りする
専門家たちは口を揃えて言う。

「知っている102歳の中では群を抜いてしっかりされています!」

私もそう思う。
知っている102歳は伯母しかいないのだが、そう思う。

いつもの木にトンビがとまっていれば、ベッドの中から
「トンビさーん!」と声をかける。
のら猫が庭を横切れば、ベッドの中でしんみりと目を潤ませる。
「夜はどこで寝てるのかしら…」

この善良と無邪気が伯母の加齢を遅らせている…
と、私の学説。

すぐ裏手の渓谷が、色づき終わった葉を降らせている。
落葉樹の骨格が日に日に露わになって、葉を落とした
枝の向こうに赤い橋が見え始めてきた。

青葉で見えなくなるまでの4ヶ月、
私は勝手口を開けるたび赤い橋に視線を送る。
春を待ちわびる心がそうさせる。
(まだ見えるか赤い橋…春は私をいつまで待たせる…)


年寄りを看る身には、冬は過ぎるものではなく越えるもの、
なのである。
どうか今年の冬も伯母が無事に越えますように。

あと3週間で1年が終わる。


画像














0

聖人宅

画像


我が家から直線距離で150mくらいのご近所に、
漆工芸作家ご夫妻のお屋敷がある。
工房と住居と展示スペースを持つお屋敷は、不定期で年に一度、
1週間ちょっとだけ展示スペースが公開される。

それが今年は先週、勤労感謝の日があった週、にあった。

案内状の肉筆の宛名文字、私の氏名は、
ご夫君の精神性が垣間見られる素朴で丁寧な
字体で書かれ、いわく言い難しの感じの良さがある。

それを今年もいただけた私は、有り難く今年も公開展示に
お邪魔して来た。

お邪魔するたびに感動する。
数々の漆の名品たちと渓流の眺めが作り出す「場」の
落ち着きと清廉と善良。


ご夫妻の笑顔がまたいいんだよなぁ…。


画像
















0

みかん

みかんの季節になった。

すでに九月の早生みかんを毎週月曜日、生協さんが
届けてくれていたが、これからは単なるみかんが、
確か三月くらいまで届けられる。

届くとすぐ、私は小箱の中でバラバラになったみかんを並べ直す。

並べながらヘタを上にするか下にするか、で晩年の母と論争に
なった思い出を噛みしめる。

母はヘタを下にする派。
私は上派。
意固地な私は、結局母が亡くなるまでヘタを上にして
みかんを並べ続けた。

そんなどうでもいい事、どうして譲らなかったのか。
懐かしい思い出は、なぜか殆ど切ない味である。



小箱のみかんを並べ終わる。
ヘタは下である。
そこから仏前に一つ。
勿論、ヘタは下である。


母が亡くなって3回目の冬を迎えようとしている。


画像



画像















0

三兄弟

画像


画像


画像



上から「クロ」「ハイイロ」「チャイロ」。
キャットフードも食べるが母乳も飲む三匹は、
近所を縦横無尽に走り回っている。

この一画の住民は皆、心やさしいのだろう。
母猫も仔猫たちも、ひどい飢えに苦しんでる風はなく、
そこそこ元気に生きている。

が、厳しい冬が待っている。

どうか皆んなで乗りこえて、春を一緒に…
我が家の101才と一緒に…
迎えることができますよう。いい冬になりますよう。

せつに願うのである。













0

幸福便

福岡の姪から手紙が届く。

すっかり秋になっちゃいましたがその後いかがお過ごしですか?

と始まる姪の文面に笑顔がほころぶ。

画像




同封されていたのは、この夏訪れた時の写真。
その中からあたりさわりのない一枚を。

画像



いい旅は、日が経つに連れてじわじわとくる。

あの穏やかな夏の一瞬をとても懐かしく思う日々です。
と、姪の手紙にあった。

私もである。

ほんとうに、ありがとうございました。







0

ぱっぱ

小学三年四年生時代の同級生三人がムラに
来てくれた。

フェイスブックの仕業である。

s君、i君、hさん。

奇跡とも言える偶然で同じ市内に暮らしていた
hさんとはこの7月、すでに再会を果たしていたが、
s君、i君とは四十何年ぶりの再会になる。
二人とも地に足のついた良い感じのおじさんに
なっていて、事あるごとに浮き足立つキャピキャピな
私とは大違いだ。

4人で昼食をいただきながら、ひとしきり話が弾むと、
「ところでタチクン、」とs君。
これ覚えてる?と言って、唇を「パッ」と鳴らした。
「覚えてる覚えてる、覚えてるよー!」と、大爆笑。

s君も破顔になってさらに続けた。
「これをさらに進化させようと、「パッ」で音階とか
一緒に練習したんだぜ。」

「そうだっけか。そんな事に僕たちの向上心は向かって
行ったのか(笑)。」

「そうなんだよ。だってクラブまで作ったんだぜ。
タチクンが作ろうって言って名前まで決めて。
『ぱっぱクラブ』って。」

「⁉ぱっぱクラブ…」
笑った笑った。
久しぶりにお腹がよじれそうになるくらいに。


この日のミニミニ同窓会は、本当に楽しかった。
誰ひとりお互いの「これまで」や「今」を探ろうと
しないし、人のウワサが話題に上ることもないし、
自慢話をする者もいない。
あえて避けてる不自然さも無く、ただただ和やかに
時が過ぎて行った感じ。

こういうのだったら、
いつでもウェルカムなんだけどなぁ。


画像
















0

黒だけ

画像


この夏から来るようになった縞ネコが
マザーになっていた…
三人の子持ち。

いつの間に!

黒、濃茶、薄茶。
三段階の明度で色分けされた仔猫たち…

なんとうまい産み分けだ!


本日、小雨模様の午後。
食べに来たのは母と黒一匹だけ。

薄茶と濃茶はどうした。
ちょっと心配。

画像


画像









0

幻の影

月曜日の朝、いつものように枕元の携帯電話で
時刻の確認。
ついでにネットニュースのさわりを見る。

目に飛び込んで来たのは、
樹木希林さんの訃報だった。

何だろう…どう言ったらいいのだろう…
この感じ。

例えば数ヶ月前に西城秀樹さんが亡くなった時の
感じとか津川雅彦さんの時の感じとか、とは
ちょっと違うのである。

誰もが知っている有名人がこの世から
いなくなった寂しさと、樹木希林さんのそれとは、
私の心の中で一線を画している。

辛い、のである。
そこはかとなく。


その日はワイドショーを可能な限り観た。
関係者の語る逸話の数々や、インタビュー映像に見る
晩年の希林さんに胸を打たれた。

淡々とした語り口で凄いことを言ってのける。
可笑しみまで滲ませて。

そしてお顔。
もう長くないことを悟っているお顔。
殊に最期の方は、欲のない穏やかな目をされていた。

それは、
一昨年亡くなった母の目とどこか似ていた。

テレビの前から離れようとしない自分がいる。

嗚咽までして。



画像







0

餌付け

ネコの親子が我が家の雑草庭を横切っていったのは、
七月の午後。
(かわいいなー)
試しにその晩、煮干しを入れた小鉢を勝手口の外に
出してみた。
すると翌朝、小鉢の煮干しはきれいに無くなっていた。

あの親子だろうか…。

それから毎日のように、餌の入った小鉢を勝手口の外に
置いた。
餌は朝になると大抵空になっているから、毎朝勝手口を
開けることと、餌を補充することが日課になった。
しばらくすると、餌は夜を待たずに無くなるようになったので、
今では朝晩の2回、補充している。

それにしても、いったい何者が食べてゆくのだろう…?

餌を食べに来る誰かは、昼日中も勝手口に来ているわけだから、
目撃するチャンスは幾らでもあると思うのだが、八月に入っても
正体は依然不明のままなのだ。
ネコの親子であることを願うも、疑心暗鬼がツノを出す。

タヌキ?アリンコ?トリ?……クマ?
まさか…………伯母?

アホか。
ここはもっと思考を建設的に働かせよう。
現場を押さえるにはどうするか、である。
もっと見張りのきく場所に餌を出すべきではないか。
そうだ、伯母のベッド脇の窓から見える場所だ。
あそこならば伯母がベッドに寝そべったまま、
四六時中見張れる。
伯母自らの手で冤罪を晴らすのだ。
ほらね、食べたのは私じゃなかったでしょ!と。

こうして餌の場所を変えたのが、1週間前の朝である。
その日の午前は落ち着かなかった。
伯母のベッドと居間を私は何回往復したことか。

結局、午前中はなんの変動もなく過ぎた。
小鉢の餌は手つかずのまま。
誰かは、まだ新しい場所に気がついてないのだろう。

可笑しかったのは伯母だった。
見張りを言いつけられ、張り切って窓に体を向けて
横になっているのだが、私が餌の様子を
覗きに行くといつもスヤスヤ寝息を立てている。
その姿が、ネコなのである。
膝を胸に付くくらいに折り曲げて横向きに、
幸せそうに眠る101才のお婆さんというのは、
皆こんな風にネコなのだろうか。


そんなこんなで、
いつもより遅くなってしまったお昼ご飯を
伯母と二人でいただいて食後、淹れたての珈琲を
伯母に出すとなぜだか胸さわぎがして、
私は食卓を離れ伯母のベッドの所に行ったのである。
すると居たのである!
こげ茶とカーキ色の縞のネコが、小鉢に盛った餌を
食べていたのである!

縞ネコはすぐ私に気がつき、一瞬ひるんだ。
しかし上目遣いでこちらを睨みながら、餌は食べ続けた。
縞ネコの瞳は飼い猫のそれとは違う、凄みがあった。

私は食卓の伯母を呼んだ。
伯母のゆっくりした歩調では、ここに来るまでに縞ネコは
行ってしまうかな…と思ったがあにはからんや、間に合った
のである。それどころか伯母が到着してからも縞ネコは
食べ続けた。上目遣いを崩すことなく。

にゃおにゃ~お~♪
私が窓の向こうのネコに呼びかけると、
伯母が「そんなダミ声じゃネコが逃げるわよ。」と言って
「にゃーお」と江戸家猫八みたいに鳴いてみせた。

私、どん引き。
ネコは逃げた。


画像









0

あんこ

夜更に小豆を煮た。
あんこと煮小豆の中間くらいのが出来たのは、
日付を越えた深夜。
味見をすると、あれだけ砂糖を入れたのに
甘みがあんまりない。

(ま、いっか、家庭料理らしくて…)
そんな納得を自分にさせて、そのまま完成とした。

その日は、これまで猛暑日が続く毎日を全くいつもと
変わらない食欲で過ごしてきた伯母が珍しく、
お昼も夜も食べられない。
胃が受け付けない、おかずが喉を通らない、という。
仕方がないのでヨーグルトを食べさせたが、食事らしい
食事が出来ないまま結局、就寝を迎えてしまった。


伯母を寝かしつけると、昼下がりから水に浸けていた
小豆を火にかけた。
伯母が昼食を食べられなかった時点で、彼女の好きな
あんこを作ろう、と決めていたのだった。
煮立ったら一旦お湯を捨てる。これでアク抜き終わり。
お鍋いっぱいに水と砂糖とほんの僅かの塩。
再び火にかける。
あとは豆が柔らかくなるまでひたすら煮るのみ。

正しい調理法かどうか全く自信はないが、前回もこのやり方で
食べられたのだから、これでいいのだ。

その間、つけっぱなしのテレビの前のソファに寝転び
ボンヤリする。
頭の中を巡っていたのは、数日前に専門チャンネルで
見た「あん」という映画。
河瀬直美監督、樹木希林主演の秀作である。

私はこの映画をもう何回見たのだろう。
5回?6回?多分これからもタイミングが合えば何回でも
見ると思う。そして毎回泣くのだと思う。

それくらいに好きな映画である。

私は、
深い悲しみと慈しみを静かに、けれど確かな力を込めて
伝えてくれる映画が好きである。
「あん」は、私の好き条件を満たしてくれている映画といえる。

映画の主人公は、樹木希林演じる「徳江さん」。
徳江さんは何十年も、世間とか国とかから虐げられてきた。
世間は徳江さんの居場所を奪ったし、
国は徳江さんに授かった新しい命を奪った。
徳江さんは、
人々の無知と偏見によって、自由と尊厳を奪われた
人生を生きてきたのだった。

それなのに徳江さんは飄々としていて、月や桜に感激する
心を失わない。
きれいな心。
徳江さんのきれいな心は、憎しみだの虚無だのに呑み込まれない。
徳江さんのきれいな心が知っているのは、やさしさと、哀しみと、
諦めである。

それは、人間という弱く愚かな生きものの無知と偏見が
決して消えることなく、今また自分に牙を向けている
ことを悟った時の徳江さんの表情に表れていた。
やさしさと哀しみと諦めの笑顔だった。
その笑顔で永瀬正敏演じる店主にお辞儀した後、「じゃぁ…」と
小声で言って、お店から去って行くのである。

暫くして、店主の元に徳江さんから手紙が届く。

てんちょさん、その後のどら春はどうでしょう。
ひょっとしたらてんちょさん、元気なくされている
のではないですか?
………
この世にあるものは全て言葉を持っている…と
私は信じています。日差しや風に対してでさえ、耳を
澄ますことが出来るのではないのか、と思うのです。
……
こちらに非はないつもりで生きていても、世間の無理解に
押し潰されてしまう事があります。知恵を働かさないと
いけない時もあります。そうしたことも伝えるべきでした。
……
どうかご自分の道を歩まれて下さい。
てんちょさんにはそれがきっとできます。



店主はいつも店に来る少女に促され、徳江さんの暮らす
施設を二人で訪れる。
徳江さんは、施設内の日当たりの良い共同空間で、
ひっそりと腰掛けていた。
二人が声をかけると嬉しそうに微笑んだが、以前みたいな
飄々とした生気はもう無いのだった。
そこに現れたのは、同じ施設に暮らす仲良しさん。あの
市原悦子が演じていた。
仲良しさんは、徳江さんが食べなくなった事を心配した。


晩秋、店主と少女が施設を再訪すると、待っていたのは
うな垂れる仲良しさんだった。
「…トクちゃん、亡くなったの。三日前。肺炎だった…」

仲良しさんは、徳江さんから託されたものを二人に渡した。
餡作りの道具とカセットテープ。
カセットテープには、医療室に運ばれる寸前の徳江さんの声が
録音されていた。

……
私たちはこの世を見るために、聴くために、
生まれてきた。
この世は、ただそれだけを望んでいた。
だとすれば、何かになれなくても、
私たちには、生きる意味があるのよ……



季節は移り、街は光と満開の桜に包まれている。
店主は野外でどら焼きを売っていた。
「どら焼きーいかがですかー!どら焼きーいかがですかー!」
店主の真っすぐな声が響く。
空の徳江さんに届け、と。



完成したあんこを小皿に取って、伯母の枕元へ。
「あんこ作ったよ。食べて。」
「あらー美味しそう!」

台所に戻った私の耳にカチャカチャと、スプーンと小皿の
触れあう音が聞こえてきた。
(よかった、食べてる。)

私も器に少し盛っていただいた。
真夜中のあんこ。
甘さの足りない…。



画像










0