漫画7

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漫画2

自粛中に描いたマンガのより抜き第2回。

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マンガ

ダンスのi先生に、自粛中は漫画を描いていた、と話したら
ウケてくださったのでこの場を借りて発表です。
改めて読んで、改めてそのくだらなさに失笑しています。

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山の気

ムラの氏神さま境内にあるお稲荷さまの
脇道を入ってゆく。
山の懐に吸い込まれてゆく。
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5分も歩けば山の中。
いくつかあるコースの中で、氏神さま境内から入ってゆく
この道が一番好きだ。
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険しさのない登りを30分余り。
するとここに出る。天空の神社。
神社の名は「琴平神社」。香川、こんぴら様の金刀比羅神社の琴平だと思う。
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一昨日やってしまった軽いぎっくり腰。
ダンスは無理、けれど歩くのは意外とできる。
ダンスができるまでは山歩きでつなぐ。
山の気をいただいてぎっくり腰を治す。
治してみせる。







稽古場

ダンス、太極拳、筋トレ、呼吸法、ひとり稽古のスタジオ、
これら全てがコロナ禍の影響でストップした。
どうするか?
工夫するのだ!
ダンスのi先生もメールで言っておられた。

そこで閃いたのが、青空稽古。
自動車免許なしの我が家は、駐車スペースが基本いつも空いている。
これを利用するのである。

アマゾンで買ったスタジオマット60㎝×60㎝を15枚。
3列×5で敷く。
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寝転んで目に飛び込んでくるのは天井ならぬ、天。
気持ちいー!
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夜は照明の下での稽古を、
103歳の寝顔を見ながら。
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103歳はコロナをちっとも怖がらない。
少しは怖がってほしいと新聞の記事をみせても
「だって私が騒いだって仕方ないでしょ。」




殺処分

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7月に入るとすぐに2日間の舞台が待っている。
今のところ、お客様を入れずにやろうと考えている。
ライブハウスでの感染をニュースで伝え聞いて、
自分の舞台にお客様を呼ぶ気になど到底なれないのである。

2日間のために一年を費やしてきた。
一年をかけて育ててきた作品を無観客でもいい、
せめて舞台の上に置いてあげたい。
この想いを代弁してくれた新聞記事に2つ出会った。

4月9日の朝日新聞夕刊から抜粋
…上演されないことが決まっている芝居に対し、
今いったい自分たちは何の努力をしているのか。
これ以上無意味なことがあるだろうか。
なぜこんな目に合わなければならないのか…。
やがて始まったゲネプロ(本番同様の舞台稽古)は、
まさに鬼気迫る芝居だった。なにしろ突然宣告された
ラストステージである。キャストとスタッフの、その
1回に懸ける思いは尋常ではなかった。
そんな舞台を客席から見つめていると、何やら
とてつもない間違いを犯している気持ちに苛まれた。
作った芝居を誰にも見せずに終わらせるということは、
その芝居を殺すのと同じことだ。
我々は苦労して生み出した芝居を世に出さず、育てず、
生まれた途端に自分たちで殺してしまった。
 あの頃から今日までに、いったいどれだけの舞台関係者が
苦しみ、悲しみ、どれだけの作品を殺処分してきたのだろう。
作品の死骸は、これからもまだ増え続けるのだろうか。
創作物は常に互いに影響し合っている。
したがって一つの作品の死は、それに影響されて生まれる
はずだった作品の誕生も奪う。
私たちは今、本当なら目に、耳に、手にしていたはずの、
未知なる膨大な作品を、日々、失っているのである。


4月10日の朝日新聞夕刊から抜粋
…この拭いようのない喪失感をどうすればよいのか、
明け方ふと目を覚まし、何気なく見た知り合いのSNS。
マドリードの40代くらいの男性医師が子供のように涙を
ポロポロと流しながら訴えていた。
「今から私たちは65歳以上の患者さんの人工呼吸器を
外さなければなりません。死を待つのみになるのです。
残酷すぎます」と。
そう、芝居どころではないのだ。自粛すべし、そしてただ祈るのみ。
必ず劇場でまた逢えるのだから。









今川焼

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線路を突っ切る大通りから斜めに枝分かれした路地は、
つつましい商店街になっていた。
確か商店街には最寄のT駅の名前が付けられていた、ような気がする。

花屋、蕎麦屋、レコード屋、ハンバーガー屋、スポーツ用品店…
商店街の入り口から数十メートルにそれらが小さな軒を並べていたが、
それ以上先に行くと何かの商店がぽつりぽつり点在しているだけだった。
一本小道に入ったところには卓球場があったり、駄菓子屋が
あったり、歯医者があったりした。
歯医者は反対側の小道にもあった。煎餅屋もそっちの方角だった。

活気があるとは言い難いが、それでもさびれているわけでもなく、
まさにつつましやかに‘70年代前半のT商店街は、それなりの経済循環を
成り立たせていた。
‘70年代終わり、駅前に大型スーパーができるまでは、
シャッターの閉まった店は、ほとんどの場合定休日がその理由だった。

先日、生協の冷凍今川焼を食べていて浮かんできたT商店街の記憶。
商店街には今川焼屋さんがあったのである。

ほんの小さな店先で、粒あんの今川焼だけを焼いて売っているお店。
テイクアウトのお店だったが、店内にも入ることができるのを知ったのは、
小5の真冬、サッカーの練習試合の帰り道に先生が生徒皆にご馳走して
くれた時である。
道に溢れる生徒たちが通行人の邪魔になるからということか、店内で立ち食い
した記憶が残っている。
狭いタタキには丸椅子が数脚あったろうか、そこははっきりしないのだが、
はっきりと覚えているのは、生徒の誰かがあったかい今川焼を頬ばりながら
「助かった…!」と呟いたこと。

私も全く同感だったのだ。
外は日没後の薄闇、寒風が吹いていた。

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寒冷雨

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本日は稽古の日。
先生に通しを見てもらう。
……予定だった。

今度の舞台では四季を表現する。春夏秋冬4回着替えをする。
4種類の衣装+小道具全部を揃えたら、荷造りは上記の画像のようになった。
まるで海外旅行。そう思うとテンションもあがる。
ワクワクして朝を迎えた。

しかしワクワクは、朝食の時点で一変する。
食卓についた伯母の状態が急変したのである。

伯母をベッドに寝かせる。
いつもは幸せそうな顔をして布団にもぐっている伯母が、
今は顔をしかめて苦しそうに目をつむっている。

外は氷雨。

枕元でぼんやり伯母の様子を見ていたら、
今の思いと4年前の今頃の思いが混ぜこぜになって
なんだか泣けてきた。

しばらくぼーっとすると、私は
i先生にキャンセルのメールを打った。


昼前には伯母の容態も回復し、
午後には食事が少し摂れるまで回復した。
夕方、九州の姉からかかってきた電話が有り難かった。

晩にはすっかり元に戻っていた。
晩ご飯では、サーモンのスクランブルエッグと、
アイスクリームと、煮小豆と、煮林檎と、チョコレートを、
いつもの調子で食べてくれた。


寒い一日。
でも、
終わりが良い1日だった。









謎の袋

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実家の庭の片隅に造られた石段は、
1メートル以上はあったと思われる土地の段差を
三段でカバーするダイナミックな代物だった。

日差しの熱い夏の日のお昼前だった。
石段に、ぷっくらと膨らんだビニール袋が落ちていた。
中に白い大きな饅頭が一個入っている。

???………

それが夏の日差しを利用して、イースト菌を発酵させていた
パン生地であることをどうやって知ったのか。
母から直接聞いたのか、
母と姉たちの会話を小耳に挟んだのか、
もう忘れてしまった。
けれど、焼き上がったパンの味は覚えている。

あれはイースト菌の風味なのか、
発酵がもたらす化学反応の産物なのか、
ほんのりと酒粕の味がした。

美味しかったか、と聞かれたら、
ノーコメントである。










赤と青

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誰が買ってきたのだろう。
当時はハイカラに見えたマグカップ。

形は同じで図柄の違う厚手のカップが、
全部で三つか四つ。

その中で記憶に残っているのが、
赤い車が描かれたものと、青い馬が描かれたもの。
赤い車のマグカップは私の、青い馬のは次姉のであった。

大家族ゆえ家族共有で使うものが多かった上に、
子供時代というのは自分の持ち物が少ししかないから、
赤い車のカップを自分用に当てがってくれたことが
うれしくて仕方なかった。

これは僕のマグカップ!

温かい飲み物を飲む時にはいつもそのカップでいただいた。
私はやがて小学生の高学年になり、中学生になり、高校生になり、
大学に入り途中で辞め、実家を出た。
その間ずっと、赤い車のマグカップと一緒にいた。

実家を出るとき、実家の両親と長兄一家との同居生活は
三年目に入っていた。

私は、たまに実家に帰った。
食器棚の奥でマグカップが息を潜めて座っていた。

(あ、まだ居る…)

不思議だった。
かつては「僕の」愛着のあったマグカップが
他人行儀に余所余所しく見えるのである。
処分されずにいたことがそれほどは嬉しくない。
むしろ空々しい思いが湧いてきて、手に取る気には
なれないのである。

そうか……
今、あの時のことを思い出していて、
ひとつわかった。

私は実家を出たのではない。
捨てたのだ。









缶の鉢

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小五の3学期。ちょうど今頃の時期ではなかったか。
保健室の掃除当番だった時のこと。
チャッ君と私は掃除のたびに、保健室前の芝生に
置かれた缶の植木鉢に水をやった。
植木鉢には、半ば枯れかかった茎だけの植物が
植わっていた。

二人は毎日水やりを続けた。
しかしやり続けながらも、たぶんそれは無駄なこと
と感じていたのだと思う。
何も期待していなかった。

やがて3学期が終わり、私たちは六年生になった。
ある日チャッ君と私は保健室に呼ばれたのである。
待っていたのは保健のi先生だった。

「花が咲いたのよ!」

ひょろひょろだった茎からは葉が生え出し、
茎の先端には赤い花が咲いていた。

びっくりした。


決してあきらめない、
可能性を信じる、
努力は実を結ぶ、
無欲が結果を出す、
夢はかなう、………
この体験を説諭に変えたら、大方こんな風に
なるのであろうか。

説諭変換。
昔の私だったらやりそうな気がするが、
このところの私にはそれをする気が生まれてこない。

「びっくりした」をそのまま持っていたい。


幸福な気持ちにさせてくれる記憶は私にとって財産だから、
いつか無くしてしまうその時まで、そのままのカタチで
保管しておきたいのである。

そして辛い記憶もまた、財産とは言いたくないのだが、
私の大事な持ち物であることは確かなのである。



















走る人

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10キロの部スタート。
先頭集団の駆け抜けていく様子を
沿道のモスバーガーから見ている。
飛ぶように走るトップランナーの
なんと美しいフォーム。

心が沸き立つ。

がんばれ、がんばれ。
がんばれみんな。
がんばれ姉貴。










机の角

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どうして椅子が後ろに倒れたのか、そこは
記憶に残っていない。

残っているのは、腰掛けたまま後ろに倒れてゆく
次姉の巨大な口と、机の角にぶつかった後頭部を
抱えてうずくまる痛々しい姿の残像だけである。

私が5、6才で次姉が12、3才の遥か昔の記憶。

その次姉が明日、10キロ走の大きな大会に出る。
60才以上女子の部。
数百人中24位だった昨年のリベンジなのだという。
目指すは5位以内!らしい。

私は、次姉の応援兼付き添いを買って出たのであるが、
実は順位とかそんなことよりも、50年前に打った次姉の頭を
密かに心配する。
あの時は大事には至らなくて済んだから、50年後の明日も
大丈夫という保証はないのである。

なにせ無茶をするひとなのだ。
昨年のレース後、軽い脳梗塞を起こしていたことを後日
本人から聞いてゾッとした。
それに懲りることなくまた今年も走るのだ。

とにかく無事に終わることを祈ってそろそろ眠る。
明日は私も早い。
雨、降らないといいなぁ。















夜汽車

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稽古の帰り。
行き先の違う電車に乗ってしまった。
戻って正しい電車に乗るまで45分を費やす。
ほんとに都内か?と疑いたくなる運行数の少なさを
嘆くが、時間も時間なのだから仕方ない。
深夜11時を回ってまだ電車の中。
なんだか永遠に帰り着かないような気がしてきた。
伯母、大丈夫だろうか。

追記
23時30分過ぎに無事帰宅。
103才も元気。起きて待っていてくれた。
伯母の湯たんぽを温め、卵焼きを3切れ食べて寝ましたー。
くたくた。



疲れた

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今朝は103才の元気な伯母が、元気一杯にやってくれた。

元気な103才は、なんとか歩けるし、なんとか後始末もする。
けれど「なんとか」なのである。
結局、私が伯母の後始末の後始末をする。

鼻をつく匂いは家中に広がる。
それは、2階でパソコンに向かっていた私の鼻にも届けられた。
階下に降りて行き伯母の元へ。

「やっちゃった?」
「大丈夫よ、紙パンツちゃんと履き替えたから。」

としたらこの強烈な匂いはどこからだ?

元気一杯の出口か。
伯母の股をウェットティッシュで拭く。
思ったより汚れていない。

ズボンについているのを発見。
洗濯機に放り込む、解決。

ところが匂いは一向に薄まらないのである。
おかしい…

トイレを開けてわかった。
それが上の写真。
トイレ用のサンダルがエライことになっていたのである。
廊下に目を落とせばうっすらと残っている足跡。

匂いの発生源は、トイレのサンダルと伯母の動線だった…!

元気な伯母の「元気一杯」の後始末には、こちらの元気が
相応に必要だから、このところ体調が今ひとつの私の乏しい
元気なんかそれで一気に奪われてしまった。
残ったのは、元気を吸い尽くされた出汁ガラみたいな自分である。

「あんたが何を心配しているのかが私にはわからない。」

脳裏にこだまする言葉。

出汁ガラは思い出していた、12月3日のこと。
その日、沢山のご馳走を携えた訪問客が、前日が誕生日だった
伯母の103才を祝いに来てくれたのだった。

お祝いの宴席は、食べきれないほどのご馳走と訪問客の善意で
溢れていた。
楽しい雰囲気の中、普段よりはるかに多い量をパクパク食べる伯母。
私はハラハラしながらそれを見ていた。
すると、普段の伯母を知らないその人は、歓談の流れに乗せて
こう言い放ったのである。

「あんたが何を心配しているのかが私にはわからない。」

絶句する我が心。
そんなことお構いなしに進んで行く歓談。

持ってきてくれる食料がいつも多すぎる旨を、この日より少し前に
メールでその人に伝えると、その人から誠意ある返信が返ってきた。
私はその人がわかってくれたものとばかり思っていた。
が、しかしー
悲しいかな、伯母の普段を知らないその人には理解しきれなかったのである。

宴席の翌日。
伯母はカーディガンの袖口と便座を元気一杯にやってくれた。
食べ過ぎると、元気一杯が制御不能になる。
それを私は心配するのである。

いやー、
それでは私の本音を言い足りていない。
伯母の粗相は、その訪問客の食べさせに関係のない普段でも
ままあるのである。

現に今日がそうだったわけで。

問題は、伯母の粗相そのものではないのだ。

「誰のせい」で粗相に至ったのか。それが問題なのだ。
「私」なのか、「他者」なのか。

原因が私の食べさせ方にあるのなら私の自己責任、納得がいくし
我慢もできる。
しかしそれが他者の食べさせ方に起因するものだと、
どうにもやりきれない。
例え現象(粗相)が同じでも原因(誰が食べさせたか)が違うことで
現象の意味が全く違ってくるのだ。

私がやらかした、のと
他者にしでかされた、のとでは、ことに対処する時のやり切れなさに
天と地ほどの差が生まれるのである。


内輪のことを何にも知らない他者が施してくれる善意に
困った、という経験は誰もが持っていると思う。
何が困るのかといえば、それが善意だからである。
善意だから感謝しなければいけないのに、それができない
自分自身に落ち込むのである。

あの日、私が本当に心配していたのはそこだった。
明日伯母が粗相をしたら私は「その人のせい」でこんなことになった、と
恨みがましく後始末をすることになる…と。

「」の部分が心配の核心だったのである。

何年たってもわかってもらえない…
期待はしていないので、もどかしさはもう無いけれど、
かと言って諦念の境地に達した訳でもなく、
まだまだ修行不足、思考と動作に力みの入る私は
訪問客の帰った後、どっと疲弊してしまったのである。
















めまい

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突然の目眩と吐き気が我が身を襲う。
立っていられないのでそのまま居間の床に横たわった。
天井がゆっくりと時計回りに回っている。
目が回る、気持ち悪い、吐きそうだ、でも吐きたくない。
くるしー。
私はその場−居間の床、で一晩をやり過ごした。

それが10日余り前のこと。

こんなのが数年に一度ある。
母の体質を受け継いだ、説が有力である。

母のはこんなものではなかった。
私のこの程度の目眩と吐き気は、母の場合の序の口、
日常茶飯事に思える。
年に2、3回母を襲うひっどい時の症状の凄まじさと比べたら、
私のなんか…。

母の場合……
嘔吐と下痢がこれでもかと続き、トイレから14時間出てこなかったこともある。

うーーうーーはぁはぁ…うーうーうーー……

吐瀉物の匂いの残る布団の中で苦しみの唸り声をあげる母…

子供の頃から何度も見てきた光景が、あの10日前の目眩と吐き気の晩、
込み上げる涙と一緒に懐かしく悲しく蘇ってきた。

あ、今自分の中に母が帰ってきた、と。