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ちゅーりっぷ前線 −記憶を辿るノォト−

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ちゅーりっぷ前線 −記憶を辿るノォト−
ブログ紹介
ここでは、

黙っていてくれて、構いません。

窓越しに、ちょっと中をのぞいてみた画廊。

そんな感じで。
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記憶の中の道 #2 「近道には落ちている」

2017/05/07 11:05
*野さんちは、人も家も庭も全部が感じのいい
お宅だった。
うちの祖母とあちらのおばあさんが仲良しだった
おかげもあって、私も子供の頃はよく遊びに行った。

*野さんちはすぐ近所であったが、道路はぐるりと回り道に
通っていたので、直線距離の数倍歩かなければならなかった。

だがある日気がついた。
途中、人家の塀と林の境目に人ひとりが通れるけもの道が
あったのだ。
そこを突っ切ると*野さんちの一画にそのまんま出るのである。

誰もが思うことはおんなじで、道路をまともにぐるり歩いて
あの一画に辿り着くことに、不便と不満を抱いていたのだ。
もしかしたら、けもの道を開拓したのはうちの祖母だった…
りしたら面白いのだが。

とにかく私はある日気がついた。近道に。
それからというもの、*野さんち方面に行く時の
それは当たり前の道筋になった。

あれは冬だったのか。記憶の映像では、近道に
生えている草が黄色く枯れている。

近道を少し歩いたところであるものを拾ったのである。
そして*野さんちには行かず踵を返し、駄菓子屋に
走ったのである。

拾ったのは10円玉2枚だった。



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記憶の中の道 #1「駆け下りる女」

2017/05/06 20:43
小学1、2年の時、と思ったがちがう。
小学校にあがったときはもう、隣のサトコちゃんは
引っ越していた。
とすると、これはもっと古い記憶ということか。

ある日うちの前の坂道を、女の人が転げるように
駆け下りて行ったのである。
ドドドドドー!
ボルトも負けそうな凄まじい駆け下りようだった。

女の人は、サトコちゃんのお母さんだった。

怖かった。
彼女に一体何があったのか…。
あの時はわからなかった。

でも今ならわかる。

"漏れそう"だったのである、たぶん。



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記憶の中の道 #0 「歩くひとに続く道」

2017/05/06 19:47
昨秋から週に2回ないし4回、とある目的地まで
10キロの道のりを駆け足で通っている。
速く走るのが目標ではないので、半年たっても
スピードはほとんど変わらない。
ただ、距離に対する感じ方は大いに変わった。
最初のうちは"遥か"だった10キロが、
今では"何とかなる"10キロなのである。

とはいえ、10キロは長い。
知らず知らずのうちに目印を作って、

(よし交差点!もうすぐ半分…)
(鳥居だ!半分越えた…)
(お、歩道橋が見えてきた。次は高速道路か…)
(この坂を上りきったらあと少し。頑張れ…)

そんな風に頭の中でつぶやいて、10キロの道のりを
刻んで走る。
そのせいだと思う。道の思い出がしまってある
記憶の引き出しが、この前ぱかっと開いたのである。
よみがえる映像、言葉、思い…
すぐに閉めるのは勿体ないので、引き出しはまだ開いたまま。

そうか、そうしよう。
幾つかを取り出してここに書き留めておこう。



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花が教えてくれること

2017/03/30 09:24
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三月初旬、我が家に滞在していた長姉が買ってきた
チューリップが、今いい塩梅でしおれている。

しおれ、やがては枯れてしまう生花。
私は生花のそういうところに魅せられる。
時の経過と共に変化してゆく花のありようが
目を楽しませてくれる、心を和ましてくれる。

花はまた、時として深みのあるテーマを提示してくれたり
もする。

たとえば―、
買ってきたばかり、咲き誇っている花束を花瓶にさしながら、
人はどうして花を美しいと感じるのだろう、とか。

たとえば―、
今のこの花たちのような朽ちてゆく姿を前にしたときに思う
命の最期、とか。

そう、一年前、終わりを迎える命が腕の中で尽きる瞬間。
あのとき私に押し寄せてきた感情は、諦めとねぎらいだった…

「大丈夫、もういいよ。よく頑張りました…」


もうすぐ四月八日が来る。
桜の花びらが涙となって、
はらはら散る日が。




















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歩くひと

2017/02/01 13:54
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長いこと間を開けると、どこから手をつければ良いのか
何を書いたら良いのか、正直わからなくなる。
何か書こうとしても
「それってブログで公開するほどのコトだろうか…」
という、そもそも論の根本的な問いかけが
頭の中で巡り始めるのである。

仕方がない、こういう時は近況である。
そこに宣伝を絡めて少々小ざかしく書いてみようか。

………………………………………………

というわけで今年も五月、私は独り舞台をやらかす。
一昨年、昨年に続き、場所は山吹町にある「絵空箱」。
江戸川橋から2分、神楽坂から9分という立地の
このパフォーマンススペースを私は結構気に入っている。

理由は第一に、私の物価で借りられる良心的な料金で
あるということ。これは大きい。
第二に、観客に対してやさしいスペースである、
ということ。これも大大大事。

ここは小劇場には珍しく一階なので階段の昇降がないし、
客席は三人掛けのテーブル席。飲み物をいただきながら
比較的ゆったりと観てもらえる。
あと、トイレがきれいである。


場所よし、時期も風薫る五月、問題なし!

もしも問題があるとすればそれは私自身、と言えようか。

「音と動きの独り舞台」と銘打って、「歩くひと」の
ストーリーを身体で表現していく私が、どれだけのことを
積み重ねて本番に臨めるか。
舞台の成否はそこにかかっているわけだがどうだろう。
どこまでやれているのだろう。

ストレッチと走りで、体はだいぶ出来てきた。
とくに走ることによって得た成果は単に体にとどまらず、
心にも良い影響をもたらしてくれたと実感している。が、…
ならば踊り込みはどうか?踊り込んでいるか?と
自らに問うてみると、なんとなくどんよりと沈んでしまう。

自負心が持てないのである。
できる限りをやっている、と胸を張れない自分がいる。
自分のあれは動き回ってるだけ。
だめだめ踊り。全然踊れてなんかいない…

と、ここで気がついてしまう。
もしかしたらこれが最大の課題ではないのか、と。
できないところを気にするあまり、できていることまでも
打ち消して落ち込む傾向が自分にはあるらしい。


自分のしている努力に疑問を持つのは、時として必要である。
けれどもそれが日夜慢性的に疑問形や否定形で繰り返されるとなると、
もはや健全な思考回路の循環とは言えなくなってくるのではないか。
その循環は、まるで地下へ地下へと掘り進んでゆく
負のスパイラルではないか。
負の循環の中では、見える景色も感じる空気も常に暗く湿っぽく
滲んでいる。


陽射しが明るく春めいてきた。
負のスパイラルもいつかあの明るい空を目指し、上へ上へと
上ってゆく正のスパイラルに転じてゆくのではないか。
そう信じたい。そう信じよう。


いいではないか!
できることが走ることならば、それで。


知らず知らずに一年前をなぞってしまう辛い今年の冬も
あと数日で立春なのだ。

いいではないか、走れば!

日射しのおかげか、心なし涙の渇きが早くなってきた今日この頃である。










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1月2日の三日月と肉まき玉子

2017/01/04 12:15
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次姉を見送るため外に出ると、
夕方の空には三日月とひとつ星が向かい合って
浮かんでいた。
絵本の1ページみたいな景色に気持ちが澄んでいく。

次姉は毎年正月の二日に、何日もかけてこしらえた
おせち料理を手土産に訪ねて来てくれる。
今年も田作りや煮豆、煮魚、デザートなど全て手作りの
おせち料理を持って来てくれた。

その中にゆで卵を肉で巻いた一品を見つけた。
(困った…)
懐かしさがこみ上げてきて目が潤んできてしまい、どうにも
ならなくなってきたのである。
子供の頃、母の作ってくれたおせち料理で一番好きだったのが
肉巻き玉子だった…。

それは哀しみではない。
遠い昔のお正月と母の面影を肉巻きに見つけて私は
嬉しかったのだ。

こんなところに母はいた。よかった!


アレルギーも好き嫌いも全くなく、食通でもない私は、
食に関してのストライクゾーンがものすごく広い。
だからというのも失礼だが、母の手料理は全て好きだった。

もっと言ってしまえば手料理というものが私はとにかく
好きなのである。
作ってくれた人の気持ちを有り難く頂くー。
なんでもかんでも食べられる私だから成せるワザである。


次姉のおせちや買ってきてくれた料理を、そこに込められた
思いも一緒に有り難く美味しくいただいて、おなかも心も
満たされた私は、清々しさからくる穏やかさをずいぶんと
久しぶりに取り戻せたような気がして、嬉しかった。


いつの間にか日が暮れて、レースのカーテン越しに見える空は
深い藍色に変わっていた。
五時。次姉がそろそろと帰り支度を始めた。

一緒に玄関を出ると、目に飛び込んで来た三日月とひとつ星。
次姉のおかげで取り戻せた穏やかさが、南西の空に描かれた
絵のような構図のひと組の天体に、素直な歓声をあげた。

私は、姉の車が見えなくなるまで手を振り続けた。






















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オルガの靴

2016/11/28 19:12
「大草原の小さな家」を初めて見たときの回が、
第9話「オルガの靴」だった。
その時私は14才、中学2年生。

生まれつき脚の長さが左右で違うオルガは、
例えば学校でみんなと遊んでいる時にそれが途中から
走り回るような遊びに変わってしまうと、自ら輪の外に
出て行って、みんながはしゃぐのを静かに遠くから見て
いるような優しい少女だった。

そんなオルガと大草原の小さな家の主人公ローラは、
意地悪ネリーのお誕生会での些細な事件をきっかけに
仲良しになった。

ある日ローラは父チャールズにオルガの話をする。
「オルガはね、短い方の脚だけ板の上にあると
すばしっこく走るのよ。」と。
するとチャールズは閃くのである。
オルガの靴を改良すればもしかしたら…。

そして最後、オルガが学校に行くことや友だちと遊ぶことに
懐疑的だった偏屈で閉鎖的なオルガの父親が、靴のおかげで
皆と楽しそうに駆け回るオルガの姿を見て、喜びで泣き崩れる
シーンになるのだが、14才の私はそこにえらく感動したことを
まるで昨日のことのように覚えている。

40年も前のことを「昨日のことのように」なんて、
私らしい大袈裟な言い回しだが、「オルガの靴」の
内容については本当に大袈裟でなく、昨日のことのように
覚えている。

実は一昨日の深夜、それをテレビで見たのである!

偶然だった。
音を低くしてそっと見ていたテレビのチャンネルを
ケーブルに切り替えるとやっていたのである。
40年ぶりに見る大草原の小さな家、第9話オルガの靴。

見終わって私は喜びで胸がいっぱいになっていた。
我が記憶力がそこそこ正確に残っていたことが確認できた
喜びと、もう一つそれ以上にうれしかったことがあって、
それは40年前と同じシーンを同じくらいに
感動している自分がいたことである。

涙腺が刺激されるツボというのは年齢とともに
少しずつ変化していくものだと、友だちなんかと「年とった話」
をする時など、方程式のごとく決まり切った法則のように
使いがちだった自分であるが、普遍性のあるテーマと作品の
完成度が噛み合っていれば、いくつになっても変わることなく
ツボは刺激されるものなのだ。


オルガの父親のシーンで感動した14才の感性のツボは、
今もまだ変わらず生きている。
それが無性にうれしかった。


しかし今日になって「ん?待てよ」疑問が湧いてきた。

「それって、ただ成長していないだけなんじゃ…?」



ほっといてちょんまげ。




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