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ちゅーりっぷ前線 −記憶を辿るノォト−

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ちゅーりっぷ前線 −記憶を辿るノォト−
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ここでは、

黙っていてくれて、構いません。

窓越しに、ちょっと中をのぞいてみた画廊。

そんな感じで。
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記憶の中の道 #6 「グリム的」

2017/08/09 13:40
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深夜、母は急ぎの内職を仕上げると、
飼い犬のメリーを連れ、仕上げた書類を
抱えてノリちゃんちへと向かった。

母の内職は、ノリちゃんのパパから依頼される
書類作成の仕事。パパはいつもその仕事を
溜めに溜めてから母に持ってくるので、母の
内職は徹夜になることもしばしばだった。

ノリちゃんちは、雑木林の向こうの方にあった。
雑木林を避けて普通の道で行くと、直角三角形の
二辺を歩くことになるが、雑木林を突っ切るけもの道を
行けば、最短距離の斜辺を歩くことになる。

母は犬と一緒に真夜中の最短距離を歩いて行くのだった。

オソロシクはないのだろうか…。
最短距離とは言え、真夜中にあの道を行くなんて…。
当時中学生だった私には理解ができなかった。
どうしてわざわざ街灯もないあんな暗い道を…?


で、今思うのである。
母は星が見たかったのではないか?と。

頭の中で映像が動き出す。

季節は晩秋ー、
懐中電灯片手に深夜のけもの道を急ぐ母。
その後ろをついて行く利口で大人しいメリー。
ふっ、と母は足を止め、懐中電灯を消すのである。
そして空を見上げる…。

闇の底から見上げた空には、きっと、
びっくりするくらいの星々がまたたいていた。

「わぁー!」

母のことである。
思わず歓声をあげたんじゃないか。

そんな想像をしている。
















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記憶の中の道 #5 「社長の休息」

2017/07/30 16:34
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チャッくんちの向かいは、お屋敷だった。
昭和40年代、当時としては最先端の鉄筋コンクリート製
の大きな建物の壁には、赤い大きな防犯ベルが
取り付けてあった。

空き巣が入ったのをきっかけに取り付けられたのだと、
子どもたちの間ではまことしやかに囁かれていた。

ある日、お屋敷脇の小道を抜けた時のこと。
主と見られる小太りのご年配が、庭先に
ダイレクターズチェアを出し、そこに海パン姿で
腰掛けていたのだ。


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主は何もせずきちんと腰掛け、ただ前をじっと向いていた。

主が社長かどうか、私の知るところではない。
でも、「この人は社長なのだ。」と子供心に勝手に
決めた。



小道を挟んだ隣は、ずっと昔に使われなくなった
豚小屋がまだ建っていた。










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記憶の中の道 #4 「巨大な船」

2017/07/29 10:36
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小学6年生の時の記憶。

通学路の途中には、モダンな家の立ち並ぶ地区を
突っ切る坂道があった。
私はその地区を「ミツビシジショ」と呼んでいた。
大人たちがそんな風な呼び方で話しているのを
小耳に挟んだのである。

私はその地区を突っ切る坂道を歩いていて、時々
夢を見ているような変な感じに囚われることがあった。
それは憧れや羨望とはちょっと違う妙な感覚で、
自分とはまるで縁のない別世界に足を踏み入れたような感じ。
遊園地とかアミューズメントパークを心躍らせながら
歩いているときの感じが、一番近いのかもしれない。

そんなだから私はその坂道を歩いている時、「本気の」空想に
入ってしまうのだった。

夏休み、学校のプールで遊んだ帰り道だった。
水遊びをした後の爽やかな疲労感の中で、
私はミツビシジショの坂道を下っていた。
空を仰ぐと、巨大な雲がとてもゆっくりと
頭上を移動している。
立ち止まってじっと見ていると、移動しているのは
雲ではなくて、自分の立っている場所の方ではないか、
そんな錯覚に陥る。

暫くそうしていると、本当にそんな気がしてきた。

街は巨大な船。
今、太平洋を移動中…。
見渡す限りの大海原。
どこまでも、どこまでも…


どこまでも、どこまでも…
いつまでも、いつまでも…
ずーっと、
こんな風にぼーっとしていたいなぁ…


どうせ私のことである。
そんなことを本気で願ったのではないだろうか。

空想の中で、船は今も航行中なのである。
















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記憶の中の道#3 「十五の夏」

2017/07/27 22:34
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巷では学生たちが夏休みに入っている。

普段だと病院通いのお年寄りや、
私みたいな得体の知れない連中がウロウロ
している時間帯に、例えば駅前なんかで
ハッとするような輝きを放つ夏服姿が目に
飛び込んでくる。
部活の午前練習を終えた中学生だろうか。

ふと脳裏に浮かんできたのは、中3の夏休み、
市民プールに行く途中の畑の一本道である。
あの夏、7才のときに買ってもらった青い小さな
自転車に乗って、15才の私はこの道をいったい
何回通ったのだろう。

高校受験生ということで、カタチだけでも勉強は
した方がいいと考えてはいたけれど、暑い日中は
とてもそんな嫌なことをする気になどなれない。
だからといって家でゴロゴロしていれば、
勉強しなくて大丈夫なのか?と思われてしまう。

両親ともうるさいことは言わない人ではあったが、
気を揉む親心は以心伝心で伝わってくるので、
日中家でゴロゴロは、できればしたくなかった。
が、あっついのである!
ゴロゴロするしかないではないか。
そこで私は運動公園のプールに通うことにした。
昼間の暑い時間帯をプールに入って涼を取るのだ。

プールまでの道のりは、青い小さな自転車を
キコキコ漕いで20分くらいだったろうか。

好きな道だった。

うちを出発して5分もすると、道は住宅地の景色から
畑へと変わる。
真夏の畑は豊潤な実りを見せる一方で、炎天下に
露出した地面はまるで砂漠のように乾ききっていた。

やがて砂漠の向こうに林や農家の藁葺き屋根が見え始める。
この時点では入学することになるなんて考えてもみなかった
高校を左手に見ながら、道は林と藁葺き屋根の方に入ってゆく。

炎天下の畑道から、いっとき緑の木陰を走り抜けるのは
気持ちが良かった。そして下り坂。
ペダルを漕がずとも速度が上がる、風をきる。
視界がパッと開け、緑色に波打つ水田が目に飛び込んできた。
そして上り坂。
えっちらペダルを漕いで坂の途中、左側にある小道に
入ってゆくと、冒頭にあるイラストの風景に出る。

畑の一本道…
真夏のひとっこひとりいない、お昼前の畑の小道を自転車が、
十五の私を乗せてトロトロ走ってゆく。
私は、きっと流行り歌なんかを口ずさんだ。

渚のシンドバッド…。













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小品展 in 神楽坂

2017/07/26 13:23
今夏も店主さんのご厚意のおかげで
無事に開く運びとなりました。

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記憶の中の道 #2 「近道には落ちている」

2017/05/07 11:05
*野さんちは、人も家も庭も全部が感じのいい
お宅だった。
うちの祖母とあちらのおばあさんが仲良しだった
おかげもあって、私も子供の頃はよく遊びに行った。

*野さんちはすぐ近所であったが、道路はぐるりと回り道に
通っていたので、直線距離の数倍歩かなければならなかった。

だがある日気がついた。
途中、人家の塀と林の境目に人ひとりが通れるけもの道が
あったのだ。
そこを突っ切ると*野さんちの一画にそのまんま出るのである。

誰もが思うことはおんなじで、道路をまともにぐるり歩いて
あの一画に辿り着くことに、不便と不満を抱いていたのだ。
もしかしたら、けもの道を開拓したのはうちの祖母だった…
りしたら面白いのだが。

とにかく私はある日気がついた。近道に。
それからというもの、*野さんち方面に行く時の
それは当たり前の道筋になった。

あれは冬だったのか。記憶の映像では、近道に
生えている草が黄色く枯れている。

近道を少し歩いたところであるものを拾ったのである。
そして*野さんちには行かず踵を返し、駄菓子屋に
走ったのである。

拾ったのは10円玉2枚だった。



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記憶の中の道 #1「駆け下りる女」

2017/05/06 20:43
小学1、2年の時、と思ったがちがう。
小学校にあがったときはもう、隣のサトコちゃんは
引っ越していた。
とすると、これはもっと古い記憶ということか。

ある日うちの前の坂道を、女の人が転げるように
駆け下りて行ったのである。
ドドドドドー!
ボルトも負けそうな凄まじい駆け下りようだった。

女の人は、サトコちゃんのお母さんだった。

怖かった。
彼女に一体何があったのか…。
あの時はわからなかった。

でも今ならわかる。

"漏れそう"だったのである、たぶん。



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