ちゅーりっぷ前線 −記憶を辿るノォト−

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zoom RSS 沢山あるうちの二つの答え

<<   作成日時 : 2016/11/04 13:05   >>

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重い心を引きずるようにして夕方の街を
歩いていた時だった。

「そうか!」突然わかった。

「母は解放されたのだ。だってこのどうすることもできない
重力から自由になったではないか!母は楽になったのだ。
ならばそれは母のために喜ぶべきことなのだ。」

真からそう思えた瞬間、長いこと縁のなかった種類の
嬉しい気持ちが湧いてきて、景色が明るく見えた。


その翌々日の朝、それは今朝なのだが、身支度をしている時に
今度はふと最期の方の母を思い出し、嗚咽しているのである。
しゃくり上げながらシャツの袖に手を通す私は、頭の中でつぶやいていた。

「たぶん…時が解決するというのは、時とともに"忘れる"のではなく、
"慣れる"と言っているのだろう。」

私にとって消せない記憶は、年月と共に色褪せるどころか、
時の蓄積がもたらす力を重く放つ一枚の名画のように、
燦然と心に残ってしまうのである。
最期までの三ヶ月は、それがどんなに辛いものであっても
一瞬一瞬がかけがえのない生前の母の姿。
忘れることなど無理である。

であるならば慣れるしかないのだ。
嵐のように押し寄せてくる時々の悲痛を
味わうのである。
周囲の温かい心根に支えられ、母の死から半年以上が経った
今は、その味にも少しは慣れてきた気がするのだが、
まだまだ先は長い。

日本に暮らすある外国人が納豆嫌いを7年かけて
克服し、今では大好物の一つになったという。
慣れる努力を続けて行けば、その先になにかいい事が
待っているかもしれないと思わせてくれる、私の好きな
エピソードである。




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お母様は解放された・・・きいろさん自身が解放された瞬間かもね。
時は刻み続けるけれど、「時間が止まる」ことがありますよね?
自分の世界が止まってしまっているような気持ちから、先に進み始めたということは、なんであろうとも素晴らしいことだと思います。
忘れて解決なんて出来ないですよね?むしろどんどん思い出すばかり。
一緒にするのは気が引けますが、ウチのビー(犬)が居なくなって明日で丁度三年です。良い夫婦の日、朝早く私達に見守られながら旅立ちました。居なくなってもいつも傍にいるように感じています。見えないけど、きっと居るんでしょうね?今も。
思いの中に存在するって、最強ですよね? 慣れる努力しなくても大丈夫ですよ。
メイ
2016/11/21 14:24
メイさんこんにちは、有り難う!
昨日の小春日和の晴天をまるで塗りつぶしてしまった灰色の、今日の都心です。本日i先生に稽古をつけてもらう日。都心に来ています。メイさんのコメントを知ったのは、昨日のお昼。ひとり稽古を終え携帯のチェックをすれば、九州の長姉からメールが。メイさんのコメントに涙…と。そこから僕もメイさんのコメントを読んでは噛み締めて、今に至っています。
思いの中に存在するのは成る程、確かに最強です!いつでも会えるんですもんね。いつも思いの中にいてくれる、そばにいる感じがする…そう、「いる」んですよね。
これまで死んでしまったことばかり考えて嘆いていましたが、決して消滅してしまったわけではない、思いの中では確かに生きています。存在のかたちが変わっただけなのだと。
毎日のように母の遺影に向かって話しかけてきましたが、これからはそれに加えて思いの中の母にも話しかけるような気がします。
また一段と独り言が増えそうです。
松岡きいろ
2016/11/23 12:40

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